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クラシック

2018年12月10日 (月)

ロッシーニ「アルジェのイタリア女」は「後宮からの逃走」のパクリ?

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ウエディングベルズ.

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アイヴァンホー.

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ポンポネッラ.

クラシカジャパン2012年ボローニャ歌劇場の「アルジェのイタリア女」イザベッラ役のアンナ・ピッツォラート、どこかで見たことがあると思ったら、ロッシーニの「スターバト・マーテル」でネトレプコと歌っていたメゾソプラノでした。

ちょっと太めの人で、太守セリムが一目見て美しい!と驚くには無理がありました。

恋人役のリンドーロは東洋系のテノール、シー・イージェで、「オリー伯爵」のタイトルロールを歌っていたのをクラシカジャパンで数年前に観たことがあります。

欧米の歌手の中に東洋系の歌手が入るとどうしても見劣りしてしまうのですが、よほどうまい人だということで登用されているのでしょうか?

以前購入した1987年シュトゥットガルト放送響のDVDはイザベッラも美人で、リンドーロもロバート・ギャビル、何と「トリスタントイゾルデ」でニーナ・シュテンメの相手役の若かりし頃の映像、ハンサムでした。

内容的にはモーツワルトの「後宮からの逃走」に似ていて、異国の宮殿に捕らわれの身となった恋人を救い出すというものですが、そう言えばバレエ「海賊」もそのようなお話だったような・・・

後宮から恋人を救い出すというストーリーは18世紀から19世紀初頭にかけて流行っていたのでしょうか?

そういえばアラビアンナイトの時代からそのような事はあったみたいですね。

2018年12月 8日 (土)

「ボリス・ゴドゥノフ」はロシアのマクベス?

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レイニーブルー.

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レイニーブルー.

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オリンピックファイアー.

ゲルギエフの「ボリス・ゴドゥノフ」、クラシカジャパンで初めて観ました。

以前BSプレミアムで放映していたトリノ劇場のもの、録画はしたものの権力者が主役というのはあまり好きになれず、同時にやっていた「サロメ」だけを観たということがありました。

解説ではロシア国民オペラの最高傑作とあり、今度は頑張って真面目に観たのですが、想像したより楽しめました。

特に指揮がゲルギエフ、地元ロシアでの上演、演出はソ連崩壊の頃を彷彿とさせる政治色が出たものになっていて、何故か現代風にアレンジした方がわかりやすく、すんなりと入っていけました。

以前録画したものを観てみるとトリノ劇場、イタリアでの上演ということもあり、オーソドックスな演出ではあるもののロシアの国民性のようなものを感じることが出来ませんでした。

やはりオペラは案外作品が創られた国で上演するのが一番説得力があるのかもしれません。

マクベスと同じく殺人を犯して皇帝の地位に就くというところが似ているのですが、マクベスのような夫人が不在で、娘と息子が物語に華をそえていました。

自然な会話の抑揚をつけた朗唱スタイルをとっているということで「ペアレスとメリサンド」が影響を受けているという解説、そう言えば、会話の抑揚の付け方が似ていると感じました。

他の版ではもう一幕多いのもあるようですが、今回のは省略してありましたが、それなりに重厚感のある作品でした。

2018年12月 7日 (金)

切なく響くヤナーチェクの「イェヌーファ」

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マルコポーロ.

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手前からオーキッドロマンスとイージータイム.

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イージータイム.

ヤナーチェクの「イェヌーファ」を始めてみたのは十数年位前シアターTVで、同じヤナーチェクの「カーチャ・カバノヴァ」と一緒にやっていたのを記憶しています。

強く印象に残ったのは、閉ざされた農村の封建社会というのが、生まれ育った我が故郷と似通っているように感じられたからです。

美しい娘イェヌーファは、ブリキ屋のおばあさんの長男の私生児を生み、次男には言い寄られているうちにナイフで顔に傷を負わされ、世間体を気にする義母に私生児を殺されてしまう・・・

周りに翻弄されながら傷ついていくイェヌーファの境遇が、切なく心に沁みたのを今でも鮮明に覚えています。

でもあの時の作品、誰が主役だったのか?指揮者は?楽団は?覚えていません。後にネットでいろいろ探してみたのですが、解らずじまいでした。

今回クラシカジャパンで放映されるということで楽しみにしていたのですが、演出は現代風にアレンジされており、かつて観た簡素な農家の情景とはイメージが違っていました。

義母役をジェニファー・ラーモアが演じていましたが、他の歌手陣も都会的ないでたちで、画面も白に統一されて明るい雰囲気になっていて、十数年前に観た暗く閉鎖的な農村の家と言う感じとはかけ離れたものでした。

モラヴィアの寒村が舞台になっていてモラヴィア語での上映ということで民族色を出しているということでしょうか。

「カーチャ・カバノヴァ」も同じように閉鎖的な農村での出来事で、最後は河に身を投げて死んでしまう話ですが、どちらも抒情豊かな日本人には受け入れやすい庶民的なオペラだと思います。

2018年12月 5日 (水)

クラシカジャパンでクルレンツィスの「ヴォツェック」

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アプリコットキャンディ.

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リバプールエコー.

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ピース.

ついにクラシカジャパンでクルレンツィスのオペラ映像「ヴォツェック」を観ることが出来ました。

クラシカジャパンに加入した理由の一つにクルレンツィスの映像を観たいということがあったので放送されたことは喜ばしいことです。

一年位前にも放送されていたものなので必ずや再放送はあると確信していましたし、しかも来年二月に日本での初来日公演を予定していてもうすでにチケットは完売状態。

2017年のレコードアカデミー大賞に選ばれ、今年度2018年の大賞もクルレンツィスのマーラー交響曲六番だという情報がネットに載っていたようですが?

鬼才クルレンツィスということでヨーロッパでは注目度は高く、目、耳が離せないひとりです。

今回の「ヴォツエック」は2010年ボリショイ劇場のもので、まだ若いクルレンツィスのフレッシュな姿もみられ、その若々しい音作りはテンポよく進んでいき、最後まで緊張感がとぎれませんでした。

以前購入したDVDは1970年版ブランケンハイムとユリナッチが主役の映画版で、舞台設定は物語に則したものだったのですが、今回は集合住宅という形をとり、様々な人間模様が一目でわかる設定、現代の人間社会を反映したものになっていました。

時代に即したものにしながらオペラが変化していく、オペラは生き物であり、時代の中で生きてこそ本質を伝えるこのができるということなのかもしれません。。

2018年11月23日 (金)

クラシカジャパンのオペラ

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ジェヘラザード.

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玄関前.

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ウイリアムシェークスピア.

11月からクラシカジャパンに登録、早速録画して観ています。

最初に印象に残ったのが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」ですが、これは以前BSプレミアムで放送されたもので、ヴォルター役のヨハン・ボータがあまりにも太り過ぎていたので削除してしまったものです。

今回改めて聞いてみると、今まで聴いたヴォルターの中で一番良い声をしているということに気付きました。

「朝はバラ色に輝いて」のアリアはつやのある豊かな声で、太っている人は無理なく声量がだせるのかもしれません・・・が太っていることが災いしたのか51歳の若さで夭折してしまいました。

オットー・シェンクの演出はオーソドックスで素人には楽しめるものでした。

3幕の終わりの5重唱がこんなに美しいものだったことを改めて見直しました。

後はザルツブルク音楽祭2018の「サロメ」と「魔笛」はひどい演出で観るに堪えないものでした。

ミラノスカラ座の「泥棒かささぎ」、ロッシーニの「セビリアの理髪師」は無難なまとめ方をしてそれなりのものでしたが、プッチーニ「ラ・ボエーム」はダニエラ・デッシー夫妻が主役、デッシーが亡くなる1~2年前のものらしく、やつれた姿が気になってこれはパス。

フローレスの「チャネレントラ」は数年前クラシカジャパンでよく見ていたもので、これもパス。

今まで観たことのないオペラはレスピーギ「沈鍾」とロッシーニ「ギョウム・テル」「マティルデ・ディ・シャブラン」フローレスが出ていました。

後はヘンデル「アルミニオ」カウンターティナーのエマニエル・ツェンチッチに期待したのですが・・・

心を動かされる名舞台というのはなかなかお目にかかれるものではなく、次から次と観ていくと感覚がマヒしてしまうということもあり、なぜ数年前クラシカジャパンの契約を打ち切ったのか理由がわかったような気がします。

2018年11月12日 (月)

テオドール・クルレンツィス

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ローズ・ドゥ・モリナール.

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ツルマリーナ.

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天津乙女.

テオドール・クルレンツィスはHMVの宣伝用フォトの横顔と手が美しかったという理由で興味を持ち、YouTubeで見て、これは凄いということでCDを何枚か購入しました。

CDは半分当たり、半分外れ、と言う感じでしたが、この指揮者の存在がなければ再びクラシックを聴こうという気持ちは起きなかったでしょう。

CDで聴くより映像での指揮姿のほうが魅力的で音楽より見た目に惑わされているところもあるのかもしれません。

ショスタコーヴィチやパーセルを真剣に聴くことが出来たのもこのような出会いがあったからこそです。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」はいろいろな振り付けでバレエ団が上演しているのをみたことはあったのですが、クルレンツィスの演奏はバレエの伴奏ではないので、テンポが速く音楽としての面白さを存分に味わうことが出来ました。

チャイコフスキーの悲愴に関しては感傷に浸らせてくれないというところがあり、甘美なところのあるフリッチャイやムラヴィンスキーの方が好みでしたが、他のものとの聴き比べをする楽しみもあっていいと思います。

ショスタコーヴィチの14番「死者の歌」は最初にヤンソンスのものを聴いてしまったので印象が薄くなってしまいました。

結局ものすごく良かったというわけでもないのですが、現在周りを見回してもそれほど魅力的な指揮者がいるというわけでもないので・・・

他がいないということでしょうか・・・